ー平和とわたしー あらい真のファミリーヒストリー その1

安倍総理は、7月の参議院選挙で「改憲勢力で3分の2を占めることをめざす」と表明しました。日本の平和憲法を根底から覆そうというわけです。平和あっての私たちの暮らしです。何としても、安倍政権のもくろみを打ち砕かなければなりません。
日本共産党は、民主主義と平和を守るために戦前戦後一貫して闘ってきた政党です。私がその日本共産党の一員となり議員となったのは、振り返ってみれば私の生まれのルーツにも深い関係があったようです。そのあたりを、千里で発行している赤旗読者ニュースに連載で書き始めました。今回は、その1を掲載します。

image(一歳の頃の私)

日本生命保険に勤めていた私の父の転勤先の長崎市で、1960年に私は生まれました。私の父(10年前に死亡)は、1933年に7人兄弟の末っ子として生まれまが、兄弟の内4人が太平洋戦争で亡くなりました。ですから、父は政治的には保守でしたが、「戦争だけは絶対にしたらあかん」が口癖でした。その父が亡くなった後に、自分史を書き始めていたノートが出てきて、それを読むと、驚きと感動の連続でした。ノートには次の様なことが書かれていました。

 

「私が幼少の頃、父と母は酒屋を経営して大変繁盛していましたが、気が良く酒飲みの父は、一杯飲んでは他人の保証人となり、財を減らしていきました。母が父に文句を言うと、父は『お金をつくってどうするんや。この世で信じられるのは、共産党と宝くじだけや』と言っていたそうです。
父は、当時ではめずらしい社会体制批判派で、ロシアに勝ったからといって別に生活が良くなるわけではなし、軍事大国化につきすすむ日本にあっても町の人たちのくらしは良くならない。それがやりきれなくて酒でうさをはらす、というところもあったようでした。
父は私に、『世の中、何でも反対のこともある、ということを知っておけよ』とよく言っていました」
共産党が徹底的に弾圧された戦前の時代に、私の祖父が「信じられるのは共産党と宝くじだけ」(何で宝くじなのか?)、などと言ったとは、本当に驚きでした。また、こんなこともあったそうです。

 

「私が3年生の時、クラスメイトのお弁当が数日続けてなくなる事件が起きました。級長だった私は、先生から、体育の時間に掃除箱に隠れて見張るように言われました。そうすると、クラスメイトのA君が入ってきて弁当を物色しだしました。A君は孤児院の生徒でした。私はこのことを先生に報告しました。
家に帰ってこの話を両親にするとにすると、父はじーと考えたあと、『A君が弁当を食べかけている時に、お前が出て行って、お前の弁当をどうしてA君にあげなかったのか」と問うのです。私が『なんでや?』と聞くと、父は『人情!困っている人に同情する心が大切』と言うのです」

 

実際は、もし父が出て行って自分の弁当をあげれば、かえってA君の気持ちを惨めにしたかもしれません。しかし、祖父(私が10才の時に他界)には社会的弱者を思いやる気持ちがあり、それは戦前に共産党を支持するくらいですから相当強いものであった、ことはよくわかります。そんな祖父の話を読み、私は誇らしい思いとともに、胸が熱くなりました。

image 左記写真は「私と父」

この続きは、赤旗読者ニュース3月号に掲載します。その原稿ができたらまた掲載します。