マイナス金利は、庶民をさらに苦しめるだけ

今週は、明日の午後6時30分からアクア文化ホールで行う演説会に向けての準備が中心でした。曽根駅では演説会案内の街頭宣伝もしました。

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さて、日銀が、マイナス金利を導入しました。
民間銀行は国債を国から買ってそれを日銀に売り、国債を買って得たお金を融資などにまわします。ただ、融資先がない場合などは日銀の当座預金(無利子)にあずけておくこともできます。
そして、この2年で、日銀は国債を80兆円買い増ししましたが、日銀当座預金の額は200兆円も増えています。つまり、民間銀行はお金を貸し出す先がないから日銀にあずけているのです。
今度のマイナス金利は、一定額より以上日銀に預けたら、その分に対しては民間銀行は日銀から預かり料を取られる、というものです。そうすることで、「民間銀行は日銀に預けるより国民や企業に安い金利でも貸し出そうとするだろう。そしてら、そのお金が、投資や消費にまわって景気が良くなるだろう」というのがアベノミクスの考えです。
でも、今までも十分に貸し出し金利は安かったのです。それでも、貸し出し量が増えず、民間銀行が日銀に預けているお金だけがどんどん増える状況でした。ではなぜ貸し出し量が増えないのか。それは、多くの国民のくらしや中小企業の業績がしんどくなっているからです。
社会保障料の値上げや円安による物価高などで実質賃金が減り続けて家計が苦しくなっているもとでは、いくら住宅ローンが安くなっても、「家を買おう」とはなりません。
そして、家計が苦しかったら消費が伸びません。消費が伸びる見込みがなければ企業は設備投資をしません。
だから銀行の貸し出しは増えていかないのです。そうすると、マイナス金利のもとでは、銀行は利益を上げるために手数料などをあげざるを得なくなるでしょう。
金利も下がり手数料も上がる。国民には本当に踏んだり蹴ったりです。

正社員が当たり前の社会は、少子化克服のためにもどうしても必要

今週は、早朝宣伝を2回し、あとは地区委員会での勤務、地域の後援会の方と戦争法廃止を求める署名を集めにまわりました。securedownload[1]

さて、安倍政権は7月の参議院選挙で改憲勢力で3分の2上を占めることを目指すと明言しました。憲法9条を改悪し、自衛隊を軍隊と位置づけ、日本をアメリカと一緒になって海外で武力行使をする国にしようとしていることは明かです。そうなれば、日本の若者が戦争で死ぬことになるだけでなく、日本もテロの対象国となっていくことは免れません。 日本の平和を守るためには、何としてもこの動きにストップをかけなければなりません。今度の参議院選挙は平和を守るために大切な選挙となります。

ただ朝宣伝をしていると、平和の問題よりも、非正規雇用から正社員が当たり前の社会へ、と訴えている時にビラを取ってくれる人は増えるように思います。やはり、目の前のくらしの問題が一番切実なのは当然です。
こういう状況を意識して、安倍政権は同一労働同一賃金の法制化を進めようとしています。しかし、会社は「いかににして賃金を抑えるか」を第一に考えますから、実質的には同じ労働内容であっても、色々と理由を付けて違いを強調し、正社員と非正規社員の賃金に格差をできるだけ残そうとするでしょう。

派遣法を改悪して非正規雇用をどんどんと拡大するやり方そのものにメスを入れない限り、働く世代の生活は絶対に良くなりません。若い世代が安心して働いて家庭を持てる状況ならないと、少子化は克服できません。日本の国はこのままではどんどんと人口が減り続けていきます。それは、日本の国の存続そのものを危うくしていくのです。
人口減少問題を克服するには、20年、30年後を見通した長期的な取り組みが必要です。しかし、目先の利益ばかりを考えている自民党の議員にそのような事が期待できるはずもありません。私達の、孫やその次の世代に責任をもって社会を引き継いでいくためにも、人口減少問題に対して真剣に取り組まなければならない時期に来ているのです。

参議院選挙では、そのことも強く訴えていきたいと思います。

ー平和とわたしー あらい真のファミリーヒストリー その1

安倍総理は、7月の参議院選挙で「改憲勢力で3分の2を占めることをめざす」と表明しました。日本の平和憲法を根底から覆そうというわけです。平和あっての私たちの暮らしです。何としても、安倍政権のもくろみを打ち砕かなければなりません。
日本共産党は、民主主義と平和を守るために戦前戦後一貫して闘ってきた政党です。私がその日本共産党の一員となり議員となったのは、振り返ってみれば私の生まれのルーツにも深い関係があったようです。そのあたりを、千里で発行している赤旗読者ニュースに連載で書き始めました。今回は、その1を掲載します。

image(一歳の頃の私)

日本生命保険に勤めていた私の父の転勤先の長崎市で、1960年に私は生まれました。私の父(10年前に死亡)は、1933年に7人兄弟の末っ子として生まれまが、兄弟の内4人が太平洋戦争で亡くなりました。ですから、父は政治的には保守でしたが、「戦争だけは絶対にしたらあかん」が口癖でした。その父が亡くなった後に、自分史を書き始めていたノートが出てきて、それを読むと、驚きと感動の連続でした。ノートには次の様なことが書かれていました。

 

「私が幼少の頃、父と母は酒屋を経営して大変繁盛していましたが、気が良く酒飲みの父は、一杯飲んでは他人の保証人となり、財を減らしていきました。母が父に文句を言うと、父は『お金をつくってどうするんや。この世で信じられるのは、共産党と宝くじだけや』と言っていたそうです。
父は、当時ではめずらしい社会体制批判派で、ロシアに勝ったからといって別に生活が良くなるわけではなし、軍事大国化につきすすむ日本にあっても町の人たちのくらしは良くならない。それがやりきれなくて酒でうさをはらす、というところもあったようでした。
父は私に、『世の中、何でも反対のこともある、ということを知っておけよ』とよく言っていました」
共産党が徹底的に弾圧された戦前の時代に、私の祖父が「信じられるのは共産党と宝くじだけ」(何で宝くじなのか?)、などと言ったとは、本当に驚きでした。また、こんなこともあったそうです。

 

「私が3年生の時、クラスメイトのお弁当が数日続けてなくなる事件が起きました。級長だった私は、先生から、体育の時間に掃除箱に隠れて見張るように言われました。そうすると、クラスメイトのA君が入ってきて弁当を物色しだしました。A君は孤児院の生徒でした。私はこのことを先生に報告しました。
家に帰ってこの話を両親にするとにすると、父はじーと考えたあと、『A君が弁当を食べかけている時に、お前が出て行って、お前の弁当をどうしてA君にあげなかったのか」と問うのです。私が『なんでや?』と聞くと、父は『人情!困っている人に同情する心が大切』と言うのです」

 

実際は、もし父が出て行って自分の弁当をあげれば、かえってA君の気持ちを惨めにしたかもしれません。しかし、祖父(私が10才の時に他界)には社会的弱者を思いやる気持ちがあり、それは戦前に共産党を支持するくらいですから相当強いものであった、ことはよくわかります。そんな祖父の話を読み、私は誇らしい思いとともに、胸が熱くなりました。

image 左記写真は「私と父」

この続きは、赤旗読者ニュース3月号に掲載します。その原稿ができたらまた掲載します。