1月14日 ー教職員を相対評価して給与に差をつける評価・育成システムは、必ず学校現場をダメにするー

7日は、市民からの相談の対応、市民からの新たな相談の聞き取り、また、選挙に向けた各種文書の作成など、終日市役所で仕事をしていました。

8日は蛍池で早朝駅頭宣伝。その後市役所で仕事をした後、午後からは世界連邦豊中支部の新年会に参加しました。その後午後3時過ぎからは、山本いっとく市議と街頭宣伝を行いました。

9日は豊中駅で早朝駅頭宣伝。その後は、府会選対事務局会議に出席。午後からは、市役所で仕事をした後、夕方は庄内駅で駅頭宣伝を行いました。

10日の午前中は、教職員関係の後援会会議に出席。午後からは、地元の新千里東町の新年会に出席しました。その後は夕方から、豊中駅近くで行われた商工団体の新年会に出席しました。

11日は、豊中市消防本部主催の出初式に出席。午後からは、地域のある団体の新年会に出席。夕方からは、妻を迎えに行って、孫の蘭ちゃんと1時間ほど過ごしました。私が行くと、蘭ちゃんは「だれやこの人?」とじっと目をこらして私を見つめるので、それがまたおもしろいです。

12日の午前中は、大阪大学で行われた成人式のお祝い街頭宣伝に参加しました。午後からは、いつき市議ブロックで行われた府政学習会に参加し、色々とみなさんからご意見を頂きました。夕方からは、地元の自治会の会議に出席しました。

13日は、柴原駅で早朝駅頭宣伝を行い、その後午前中は団会議。午後からは、最初はいつき市議と、その後は出口市議と一緒に後援会の方への訪問活動を4時間ほど行い、夕方は桃山台駅で、五十川市議予定候補とともに街頭宣伝を行いました。

訪問して色々とお話を聞いていると、やはり維新の会、特に橋下氏へ批判的な意見はふえいているものの、まだまだ支持している人も結構いるなあ、と思います。確かに、橋下氏の弁舌、行動力は人並み外れたものがあり、個人としては大変能力の高い人だとは思います。ただ、人口が減っていくこれからの時代、「二重行政を解消して大阪都を実現し、大阪を東京都の二大拠点に」という、開発至上主義、経済至上主義の時代ではもうない、と私は思います。今あるものを大切に使う。文化など伝統的に大阪にあるものを大切にする。そんな大阪をつくっていく時代ではないでしょうか。

さて、今学校現場では、教職員の業績を個々に評価し、それによって給与に差をつけていこう、という教職員評価・育成システムが実施されています。教職員の評価は基本的には校長が行いますが、保護者や生徒による授業評価も行い、成績に加味されます。

教育委員会は評価は絶対評価によって行っており問題ない、という立場ですが、最終的には相対評価を行っていくつもりで、大阪府の行政職員にはすでに相対評価が行われています。私はこれを実施していくと、学校現場は間違いなく荒廃していく、と断言できます。

その理由以下の通りです。
評価・育成システムにおいては、個々の教員の評価はいったん絶対評価で行います。例えば10人の教員を評価した場合、5が3人、4が5人、3が2人、2と1は0人だったとします。しかし、これを給与ランクでは最終的に5段階に振り分けていきます。最高がA、最低がEとしますと、同じ5の人でもAランクの人とBランクの人が出てきますし、4の人でも、BランクとCランクの人が出てくるのです。
教職員全体の給与財源は一定にしておいて、その中で評価をつけて給与に差をつけようとすれば、必ず相対評価にならざるを得ないのです。

民間会社の場合も、相対評価によって給与格差をつけている会社もあります。ただ、社員全体のレベルが上がって会社全体の業績が上がれば、社員全体の給与が上がることにつながります。それ故、先輩と後輩はお互い競争関係にはありますが、先輩が後輩の指導をして後輩の力量を向上させていくことは会社全体としての力量向上につながり、先輩社員にとっても一面においてはメリットもあるわけです。

ところが、教員のように、いくら教員全体の力量があがっても給与財源は変わらない場合は事情が異なります。
先輩教員が後輩教員を指導して後輩教員の力量が上がり、保護者、子ども、校長からの後輩教員の評価が先輩教員より上がれば、先輩教員の給与は下がるしかないのです。給与財源という全体のパイが同じなら、必然的にそうなります。

そうなると、子どもたちによりよい教育を行っていくために、「教員全体で協力しあう」「お互いに力量を向上しあう」ということより、「自分がいかに目立って高い評価を得るか」という事に教師の関心がむかう傾向は、間違いなく大きくなるでしょう。そうすると、クラブ活動のように、結果がはっきりと出ることばかりに力を注ぐ教員が必ず増えていきます。

実際、テレビなどで行われている「大縄飛び連続飛び大会」などで好成績をあげることにばかり熱心になる教員も増えているようです。

また、学校の人事でも、生活指導主任などなどを引き受けると、「良い評価を得たいからではないか」というような教師間の疑心暗鬼も生まれている、ということです。

私は、「全ての教員に対して、子どもたちによる授業評価を行い、その結果を管理職とともに検証する」ということは行うべきだ、という見解をずっと以前より持っています。しかし、それはあくまで、優れた授業を実施していくことが目的です。授業評価をもとに給与に差をつけるようにすれば、先ほど述べたように、教員同士の協力関係がそこなわれ、教員全体としての授業力量も上がらないし、教員同士の足引っ張りが生まれて教員集団としての力量は必ず低下していきます。

確かに、教育現場には、力量がある教員とそれほどでもない教員はいます。しかし、相対評価では、教職員の共同関係が弱まり、力量のある教員とない教員の差がますます大きくなるばかりで、子どもたちにとって何のメリットもないのです。