7月31日 ー東丘ダディーズ主催 「宿泊カレーパーティ」を無事終了しましたー (2014.07.31)

CA390482

26日から27日午前中にかけては、東丘ダディーズクラブ主催の宿泊カレーパーティでした。

3年生以上の希望者は校庭にテントをはって宿泊。1,2年生は日帰り参加。10年前に始めた頃は、宿泊者が40名弱、日帰り参加を入れても80名ほどでしたが、今回は宿泊が100名、日帰り参加を入れると170名、とたくさんの参加者となりました。参加者が増えるのは嬉しいことですが、十分目が行き届かない危険もあり、来年からは参加条件の変更も考えねばなりません。

当日は5,6年生が1時に集合し、カレーのジャガイモの皮むきなどを行い、2時から全学年参加によるプール。プールでの事故が一番怖いので、監督には東丘小学校の先生方も数名来てくれました。4時30分に終了後はテント張り、そして夕食。カレーは大好評で(写真)一切残りませんでした。

その後8時前からキャンプファイヤー。毎年私がゲームなどのスタンツリーダーをやるのですが、これが結構疲れます。その後は、ダディーズ現役組による妖怪ウォッチの踊り。大ウケでした。
10時には就寝ですが、当然のごとくなかなか寝ません。私は午前2時頃まで、テントのそばで子どもたちを寝かしつけていました。

翌日の27日は午前6時30分に起床し、朝食後テントの片付け。そして1時間ほどプールに入り、午前10時頃には、ケガもなく熱中症にもならず、無事全日程を終了しました。

帰宅後は大変眠たく疲れていたのですが、なぜか眠れずに夕方まで過ごしました。
午後6時からは、新千里北町地域の府営住宅建て替え問題について、私や堀田府議、幸村市議予定候補とともに説明・質問会を実施。50名以上の方が参加され、関心の高さがうかがわれました。

28日は午前10時より建設水道常任委員会に委員長として出席しました。午後3時頃には終了。その後は地域の赤旗集金に回りました。

29日は午前10時より文教常任委員会が開かれ傍聴しました。午後3時からは市議団か会議。その後、検診の結果母が早期胃がんと診断されたため、かかりつけ医のある宝塚南口まで母を連れて行きました。

30日は早朝駅頭宣伝を、幸村直行市議予定候補と行った後、市議団控え室に行って昼過ぎまで仕事。その後は事務所に帰って、夜に行われる北町夏祭り実行委員会の準備を行いました。夜は、実行委員会に出席しました。

31日の午前中は堀田文一府議と、蛍池地域を訪問。午後からは赤旗集金と北町夏祭りの案内状をもって回りました。夜は、あらい真を励ます会実行委員会に出席しました。

7月25日 ーいろいろな問題も、私たちは必ず克服し乗り越えていけるー (2014.07.25)

19日の午前中は、宝塚まで母を病院に連れて行き、その後堀田府議と蛍池地域を訪問。午後からは母を病院に迎えに行ったのですが、これが超待たされ、帰ってきたらくたくたでした。
夜は、幸村市民くらしの相談室長と市議団市民アンケートに相談ごとを記載されていた地域の方を訪問した後、北丘保育所納涼会に来賓として参加しました。

20日の午前中は地域の会議に出席。午後からは新聞赤旗の拡大にまわりました。
夜は、豊中市内の盆踊りに参加した後、池田の共産党後援会主催の夏祭りに参加して、「豊中の知人・友人にお声かけください」と訴えた後、各店舗を回り大きな声援をいただきました。

21日の午前中は松下三吾市議と庄内地域を訪問。午後からは地域の行事に参加しました。

22日、23日は市議会本会議に出席。

24日は、午前中は26日、27日どダディーズクラブ主催で行う宿泊カレーパーティの準備、午後からは市議団会議に出席。その後は、市職員からの聞き取りを行いました。
夜は、豊中十中時代の教え子二人と、福島にある鯖づくしの店に行って楽しく語り合いました。私の選挙でも大いに支持広げの宣伝をしてくれるそうで、大変心強い限りです。

25日は、午前中は市民からの相談を事務所で受け、午後からは夏祭りの打ち合わせに小学校に行き、その後は年金者組合の総会に出席して挨拶をしました。

さて、一昨日は日本共産党を知る会に出席し、少しお話をしました。
私自身の経験から、特に日本共産党に入って科学的社会主義の理論に基づく、歴史観、社会観を身につける意味について、少しお話ししました。

超高齢化社会、そして少子化が進み、日本はいまのままではどんどんと人口が減っていく。そして、一方で安倍政権は憲法破壊をすすめて日本を戦争ができる国にしようとしている。見方によっては、「お先真っ暗」のような気もします。

しかし、人類は、これまでもその時代ごとにあった幾多の困難を乗り越えてきました。
日本で言えば、大火事、飢饉、そして太平洋戦争にいたるまで戦争。特に戦争時代は明日の見えない暗黒時代だったと言えます。しかし、そんな中にあっても、日本共産党の先輩達は「この戦争は間違っている」と訴え、戦ったのです。そして、敗戦後民主主義を獲得し、いろいろな問題はあっても、民主主義は確実に国民に根付いてきています。

また、太平洋戦争までは女性には選挙権もありませんでしたが、今ではまだまだ不十分だとはいえ、男女共同参画社会の充実が言われるまでになっています。

障害児も1960年代くらいまでは、義務教育を免除されていました。実質、学校に来なくてもいい、と障害者の学ぶ権利は放置されていたのです。それが、障害児学校ができ、今では障害者が地域の学校で学ぶことが当たり前の社会となってきています。

このように、確実に歴史は進歩しています。今、憲法改悪、高齢化、少子化などの危機もありますが、国民の力で必ず乗り越えていけると考えていますし、その中心的な役割を私たちが果たさなければならないと思っているところです。

7月19日 ー橋下氏もここまで落ちたか…ー (2014.07.19)

14日の朝は、阪急神崎川駅で松下三吾市議と早朝宣伝。途中で雨が降り出し大変でした。その後は市役所に行って質問原稿の作成。夕方からは市議団会議を行い、代表質問原稿の最終チェックを行いました。

15日は質問通告締め切り。質問に対する答弁を市職員からもらったり、終日議会対応でした。

16日も終日議会対応。17 日は午前中に代表質問の担当原稿は仕上げて、午後からは7月26日、27日と行う東丘ダディーズクラブ主催の宿泊カレーパーティの子どもたちに対する説明会を行うために東丘小学校に出向きました。

18日は午前10時より本会議代表質問。私たちの淺利市長への質問に対しては、府立大学と市立大学があるのが二重行政と大阪維新の会は言いますが、「二重行政は効率化などの中身が問題であって施設数の問題ではない」と市長答弁。また、大阪都構想をめぐる法定協議会の維新の会の横暴に対しては、「私の政治手法とは相容れないプロセス」と非民主的なやり方に対して淺利市長はキッパリと批判をされました。

さて、大阪都構想を議論する法定協議会から維新の会以外の議員を一切排除するという暴挙を行った橋下氏ですが、いよいよ混迷を深めているようです。次のような産経新聞の記事が出ていました。橋下氏もここまで落ちたか、と思う内容ですね。以下紹介します。

7月17日付産経新聞ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140717/wlf14071713270010-n1.htm

閉庁後の大阪市役所の中は、暑い。エアコンが切られ、夜が深まるほど、私の中の不快指数が上がっていく。小学生の頃、エアコンのない教室によく耐えたと昔の自分をほめたくなる。
大阪市では全市立中学校にエアコンが設置され、今年度からは市立小学校への整備も進められている。当時、下敷きで自分をあおぐしかなかった私には、うらやましい限りだ。

エアコンの設置方針は、前市長の平松邦夫氏の時代に決まっていた。しかし、工事の予算を組む前に任期満了を迎え、平成23年11月の市長選で、エアコン設置を公約に掲げる橋下徹氏が当選。24年度予算から順次、工事費を盛り込んでいった。

橋下氏には、自身の功績をアピールするお決まりのネタがある。平松氏はエアコン設置の予算を作れず、校舎の壁にゴーヤなどの「緑のカーテン」を作ったと切り出し、一方で自分は市政改革で財源を生み出した、というのだ。
政治家が前任者と比べて実績をPRするのは当然だが、橋下氏が今月13日に行った街頭演説には思わず眉をひそめた。

「平松氏がすぐ近くに住んでいる」と明かし、「平松さ~ん」と何度もマイクで呼びかけ、緑のカーテンを「大失敗ですよ。全然教室、冷えていません」と揶揄(やゆ)。「あなたは全く市長の仕事をしていませんでしたね」と挑発してみせた。

橋下氏の皮肉や過激な物言いは、その内容の痛快さで聴衆を引きつけてきた面もある。しかし、インターネット上で公開している演説で特定の人物の住まいを明かしたうえ、あえて自宅に向かって“口撃”するのはやり過ぎの感が否めない。

大阪都構想をめぐって今後、野党会派などとも対立が激しくなる。街頭での批判も激化しそうだが、聴衆の“不快指数”には、くれぐれもご注意を。